-第10話 「わが探究の真・善・美」-

2011年3月

真理の探究は大学の使命

ハーバード大学の有名な紋章(Shield)には、「真理」を意味するラテン語の「VERITAS」がスクールモットーとして刻まれています。
今回は「真」「善」「美」のスピリットをかたどる日本の大学校章をとりあげましょう。

「真理を見すえる叡智の眼光」

JR四ツ谷駅麹町口を出ると右手に聖イグナチオ教会。
そちらに向かって江戸城真田堀土手下を歩けばすぐに上智大学。
「ソフィア・ユニヴァーシティ」の名でも知られています。

ソフィア(Σ0ΦIA)とは、ギリシャ語で「叡智」を意味します。
「人を望ましい人間へと高める最上の叡智」。
これこそ、この大学が学生に与えようとする至上の価値であり、大学の名称(ソフィア:上智)もこれに由来します。

図1 上智大学

図1 上智大学

正門アーチには校章が掲げられています。
その校章は、真理の光を見すえて羽ばたく鷲をかたどり、中央にはLux Veritatis(ルックス・ヴェリタティス:真理の光)の頭文字を配します(図1)

日本に初めてキリスト教を伝えたカトリックの男子修道会がイエズス会。
1913(大正2)年に「専門学校令」による大学として上智大学を開校します。

鷲の校章もこの年から使用されていました。
しかし、当初イエズス会は鷲を校章とすることに懸念をもちました。
そのころ欧州で国力を伸張させていたドイツ帝国プロイセンの紋章に似ていたからです。
しかしそれでも鷲の校章は残り、やがて上智大学とは不可分のシンボルとなりました。
1928(昭和3)年には「大学令」による大学に昇格。
この年の新校舎落成式に、校旗にあわせ校歌も披露されました。
その歌詞全編にわたり、ソフィアの鷲が荘厳に歌われます。

上智大学が正式に男女共学となったのは1958(昭和33)年のこと。
それまではイエズス会系の学校の多くがそうであったように男子校でした。
共学になって以降、上智に学んだ「ソフィアン」達の躍進はめざましいばかり。
卒業生さん達はグローバルに活躍しています。

鷲の校章も時代に応じて少しずつ形を変えてきました。
現在のものは1979(昭和54)年にキリリとリニューアルしたもの。
卒業生にとっては自慢の校章。これに憧れる受験生さんも多いですよね。

「長き伝統と永遠の真理」

四ッ谷駅のお隣は市ヶ谷駅。
駅を出るとすぐに法政大学の高層インテリジェントビル「ボアソナード・タワー」が目に入ります。
これを目印に徒歩約8分。
法政大学市ヶ谷キャンパスに到着です。

法政大学の源流は、1880年(明治13年)年設立の東京法学社にさかのぼります。
翌年には講法局を独立させて東京法学校となり、フランス系の法学教育を展開します。
ここで重要な役割を果たしたのがフランス人法学者ボアソナード博士。
博士は1873(明治6)年に明治政府の法律顧問として招かれ、我が国の近代司法制度構築に貢献します。
1883(明治16)年には東京法学校の教頭に就任し、以後10年間にわたり無報酬で同校での教育に情熱を注ぎました。
大学のシンボルとなっているタワーの名称も博士の功績にちなみます。

1899(明治32)年、同校は東京仏学校と合併して和仏法律学校となり、1903(明治36)年には専門学校令によって和仏法律学校法政大学と改称。
さらに大学令の公布を受けて、1920(大正9)年に法政大学が発足します。
最初の校章は、「大学」の文字の左右に「法政」の文字を記したもの。
大正10年頃になると「大」と「学」との間に法政の「H」を挿入したものが用いられたそうです。

図2 上:法政大学 下:法政大学予科(現在は法政大学中学高等学校、法政大学第二中学校・高等学校の校章)

図2 上:法政大学
 下:法政大学予科(現在は法政大学中学高等学校、法政大学第二中学校・高等学校の校章)

さて、大学令による大学昇格条件の一つが大学予科の設置。
その法政大学予科は、1919(大正8)年に校章を作りました。
中心に「HOSEI」の“H”をすえ 、これを「University」の“U”を表わした楯型で囲み、上に王冠をいただいています(図2下)

王冠は「フランス型」で、これが重要。東京法学校がフランス法教育を重んじていたことに由来します。
予科校章は法政大学中学高等学校(三鷹市)と第二中学校・第二高等学校(川崎市)に継承されています。

現在の大学校章が制定されたのは1930(昭和5)年。
「大学」の二字を六角形の亀の子型にデザインしています(図2上)
この亀型は長い伝統と永遠の真理を表しています。
どちらの校章も山崎静太郎教授による考案です。

法政大学の精神は「自由と進歩」。
この気風を「進取の気象、質実の風」として校歌に織り込み、同校「永遠の真理」として格調高く歌い継がれています。

「全人教育の理想を掲げ」

玉川学園(東京都町田市)は、幼稚部から大学・大学院まで約18,000人が集い、ともに学ぶ総合学園です。
1929(昭和4)年の創設にあたり、学園は文教都市の創造を構想し、山野だった土地を開発しながら学園と街を一体に美しく作り上げていきました。

小田急線「玉川学園前」駅は、学園が駅敷地や駅舎建築等の提供を条件にして誘致し、設置されました。
ウルトラオールド玉川ボーイの話を聞けば、教職員も子ども達も一緒になって「もっこ」を担ぎ、泥まみれになって駅のホームづくりをしたそうです。

図3 玉川学園

図3 玉川学園

玉川学園の校章はいたってシンプル(図3)
学園開設のころ、校章を決める会議で「丸い玉に川という簡単なものにしたら」という創立者の意見で意外とすんなり決まったそうです。
しかも、このデザインは「幼い子ども達にも覚えやすく簡単に描けるように」と心配りされているのです。

校章の3本線はもともと玉川の川を意味するものでありますが、他方「真・善・美」さらには「知・徳・体」をも表現しているそうです。

玉川学園五十年史をひもとけば、創設者小原國芳は「全人教育の立場からホントの真を掴み、ホントの善を経験し、ホントの美しさを理解し、聖の世界のわかる人間を養成せんがために他ならぬ」と「新しく玉川学園が生まれたわけ」について述べています。

今や幼稚園から大学院まで共通するこの校章。
それぞれの発達段階で、それぞれにとっての「真・善・美」を探究していくという「全人教育」の願いも象徴しているようです。

「かたどる姿は真善美」

旧制松山高等学校は、1919年(大正8年)に愛媛県松山市に設立された官立旧制高等学校。
この年、校名に「番号」ではなく初めて地名を頭にかぶせた官立高校が全国に四つ設置されました。
松山高等学校はそのうちの一つ。四国では最初の旧制高等学校です。

図4 旧制松山高等学校

図4 旧制松山高等学校

松山高等学校の校章は、中央に桜の花と「高」の字を、その背景に「真・善・美」を象徴する金色の三光を配しています(図4)
桜花は国花としての「日本精神」を、「真・善・美」の三光は高等学校で学びゆく「教養の本体」を意味し、「知・徳・体」にもつながるとされています。

由井質(ゆい・ただす)初代校長は、高校も人物も「全国的スケール」に育てたいと考え、そのための校風づくりに努力します。
こうしたこともあって運動部の活躍は全国にとどろき、三年連続全国制覇の柔道部をはじめ、サッカー、野球、水泳、ボートの各部も全国優勝しています。
それぞれの想いの中で「真・善・美」を求めた松高生の高校生活。
そんな青春群像は、山田洋次監督映画「ダウンタウン・ヒーローズ」にも描かれています。
映画の中でも「三光章」を随所にみることができます。

現在、旧制松山高校の敷地は愛媛大学教育学部附属学校園(幼稚園・小・中・特別養護学校)になっています。
附属中学校の校地には、旧制松高の講堂「章光堂」が今も大切に保存。
屋頂に左右対称の塔を持つ大正期を代表する美しい木造モダン建造物です。
校地の南西角には、松高正門が当時の位置のままに残され、記念碑も設置されています。

「かがみとなして朝夕に」

女子美術大学(本部は東京都杉並区)は、1900年(明治33年)に設立された「私立女子美術学校」を前身とします。
創設者の横井玉子は、女性の地位向上と経済的・社会的自立には女子のための学校創設がどうしても必要と考え、この学校を設置しました。
現在の女子美術大学においても、建学の精神として「1.芸術による女性の自立、2.女性の社会的地位向上、3.女子芸術教育者の育成」が継承されています。

図5 女子美術大学

図5 女子美術大学

私立女子美術学校の校章は、横井とともに学校設立に尽力した初代校長藤田文蔵(東京美術学校教授でもあった)の考案により、開校直後に定められました。
八咫(やた)の鏡の中央に「美」の文字が配置されています(図5)
八咫鏡は三種の神器のひとつ。鏡は自分の姿や行いを映して自省するもの。
「鑑(かがみ)」とも記され、「お手本」という意味もあります。
歴史ある女学校や女子教育の系譜をもつ学校では、校章のモチーフに鏡を採用するところが多くあります(第3話参照)。

開校当時は「美術学校」というだけでも色眼鏡でみられた時代です。
それも女子の学校ですから、世間の風は決して優しくはなかったでしょう。
私立女子美術学校は苦難の連続でした。
しかしそれを乗り越え発展し、やがて次第に「ジョシビ」の名前も定着していきます。
昭和期になって本郷菊坂から杉並区の現在地に移り、戦後学制改革によって女子美術大学が発足します。
国内の私立美術大学にあっては最も歴史が長く、これまでに多くの女性美術家、デザイナーを輩出しています。
今も校章の鏡には、学園の美しい輝きを映し出しているようです。

武蔵野美術大学や多摩美術大学も「美」の一文字をモチーフにした校章です。
同じ漢字を使いながら、それぞれの美術大学の精神と個性が校章にも反映されています。

さて次回は「よぉーく見ると、なるほどねえ!」の校章話をいたしましょう。